女将の「豆まめ通信」

昭和48年5月号

1972年5月 味噌通信   新潟出身の方たちの会「東京新潟県人会」が信濃町に立派な事務所を運営しながら、上京した新潟県人の宿泊施設としても当時は機能していました。 先々代は、東京出張となると1週間、信濃町の東京県人会に宿泊をし東京近郊のお得意様周りをしておりました。  そんなご縁だったのでしょうか?新潟県人会の方々が、幣地を訪ねられたのは・・・。新潟ご出身の方たちにとっては、新潟の豊栄の味は、甘さにふるさとの味だったのでしょう。  ところが、ところ変ればですね。味噌汁大好きの先々代が文化県の違う地への旅行の折には違う味覚に閉口したとのこと。ご一緒の方のご出身を知るすべは今となってはありませんが、少なくとも関東以北の方々だったのでしょうね。 《写真は、先々代の育てていたエビネラン。今日咲きました。》
エビネラン
 旬の味を味噌汁に、食卓にのせる喜びは、季節を感じることに深い思いを重ねる日本人にとって何よりのご馳走なのかもしれませんね。 2009.05.08

◆1972年5月号「味噌通信」

《本文》  去ル二十四日に、東京新潟県人会百六拾余名の一行が郷士訪問を兼ねて、観桜会の折偶、当市中央公民館に於いて、御昼食されることになり、市からの要請で折角の機会でもあり、ふるさとの味を存分に味わって頂く意味で、当社の味噌を提供いたし、市の自然食運動をされている婦人会の方々に依頼して手作りの味を頂き度いと、採りたての筍に、お豆腐を入れて、温かいお味噌汁に、当社の味噌漬を添えましたところ、迚もじゃないがこれはうまいうまいの連発、何時も食べているものとは比較にならねうまさ、ひと味違うどころか将にこれこそ憧れの本場の味だと絶賛され、お代わりはとのことで、どうぞいくらでもと、多い人で四杯、二~三杯のお代わりをされた方はザラにあったと、係りの方より伺ひ、旅には欠かせない味噌汁の恋しさを、改めて考へさせられました。 即座に注文される方や、帰京後もお礼に 併而 お問い合わせ等もあり、列席された市長、議長さん等関係の皆様より、当社の好意ををよろこんで頂き、心温まる思ひ出でした。    先月中旬、機会あって山陰、山陽の旅に出かけました。特に山陰は風光明媚、新緑滴り、古き伝説の数々を知り、厭きない楽しい旅路でした。然し何時も朝食にはしじみ貝に、八丁系のお味噌汁、迚もじゃないが濃過ぎて特殊の風味、越後人には不向き、大半は残したり、お湯で薄めて、辛うじて口づさむ程度で、所変われば品変わる、譬えの通り、旅行の皆様には、物足りなさを、感じたようでした。 「味覚の母は春を連れてくる」と吉田瑞穂さんは申されています。近頃季節感のない野菜は、年中市場を賑はし、型こそ整っていますが、味も、香りも淡白で、風味に乏しき毎日でした。今や、自然の風土に育まれ、すくすくと伸びた春野菜や、山菜が、今が盛りとばかり賑わっております。さわやかな朝にはつきものが、おいしい味噌汁にまさるものがありませぬ。 季節感を巧みにとり入れた、本場のお味噌汁で、心のこもったおいしい味噌汁を、ご愛好して頂きたいものです。
●味噌あじ  練馬 直木幸子 様 味噌汁がないと 朝目をさました様な気分になれません それだけお味噌を吟味しております お宅のお味噌を頂いてコクの有る味を賞味しております。
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