三代目 久一の「味噌通信」

昭和48年2月号

 1973年2月 味噌通信  異常気象による原料の高騰の状況がひしひしと伝わる通信です。  この地の冬の新潟の集中豪雪は25年ぶりとのこと。ちょうど長男が生まれた年以来の豪雪だったとのこと。息子たち以降の人にとっては、初めて経験する雪だったはずです。ということは、語り、守り受け継がれていたこと25年も伝わっていなかった、伝えるチャンスがなかったということになります。  文化や習慣・慣習が伝わらない寂しさを感じてしまいます。
岡山後楽園の白梅
新しいことが積み重なっていくのはとってもすばらしいことですが、繋がってきていたことが途切れというのは、どこかで無理してでもつなげる努力をしなくてはいけないのでは?なんて思ってしまうのは、私が、重ねてきた歳月がそう思わせるのでしょうか…。  

◆1973年2月号「味噌通信」

《本文》      人生に通じるにがきふきのとう      高村翔洋          春気立ち、雪の越後も暖冬異常高温のため、雪の話も薄らぎ、行き先を案じております。皆様お健やかに、忙しい毎日をお過ごしのことと存じ上げます。  諸物価相次ぐ高騰の中にも大豆関連産業である、しょうゆ、豆腐、納豆など次々と値上げ発表され、原料大豆の不足は一層深刻となって参りました。終戦後物の不自由な時ならいざ知らず、自由経済化下にあって、市場には商品氾濫し、投げ売りさえ行われている中に、大豆事情の極度の悪化は、業者の焦りも濃く、世界的の視野に立って、如何とも施す術のないのが実情であります。  我が国では、昭和三十年をピークに大豆の生産は減る一方、国内需要量は三百数十万トンの中に、0.03~0.04%が国内生産で、殆どが中国、米国に依存しているのが実情です。ところが昨年は世界的の天候に禍され、輸入の大部分を 中国に依存していたのが、物凄い日照りに次ぐ、収獲期の長雨、その上霜害も伴って予想収量物凄く下回り、 米国では、収獲期を前にして、豪雪に見舞われ一割位も収獲不能、イリノイ州は豊作、その他は減収の破目に陥り ソ連また、穀物も豊庫とされていたウクライナ地方の大旱魃(かんばつ)のため、油脂、たんぱく質源乏しく、米国より大量の大豆買い付け等、相次ぐ世界市場の不況は国際的に大豆の需給のバランスが崩れ、未曾有の品不足の事態となりました。 政府も大豆急騰の事態を重視して、去る二十七日臨時閣議で中国より緊急輸入の処置を講ずる等、真剣に取り組み、全国味噌連合会も係員を米国に派し1万トンの契約に懸命なる努力する等、急迫な事態となりました。十月にはトン当たり50,000円位の大豆も、1月23日の大豆相場は、150,000円売り、オハイオ大豆十六万円出来と、100,000円以上の高値となり、全く天井知らずの急騰に次ぐ、上昇の気配、業者又品を求めて仕入れに狂奔、その上、品不足で不安の一途を辿り、トン当たり10,000円の値上げが3円50銭のコスト高となり、企業の不安が、日毎に濃く値上げ必至、真に己むき得ない事情にまで迫ってまいりました。何卒諸事情に対し、深きご理解とご協力賜わりますようお願い申し上げます。
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