女将の「豆まめ通信」

昭和47年10月号

 1972年10月 味噌通信   折りしも鳩山首相が中国で日中韓首相会談をやっています。    1972年10月の「味噌通信」は当時の首相田中角栄氏が中国との国交を正常化した当時のこと。  その6年前に、先々代の社長は、日本の代表団として中国を訪問したことがありました。まだまだ国交が回復する以前〔6年も前〕のことでしたが、国賓並みのおもてなしをいただいたと話してくれたのをまだ覚えています。
ナナカマド
 友好を深める時、家族の団欒の時、心を許し、和やかなムードを作るのに『食事』が大切です。「たべる」「食卓を囲む」という作業は、心の鍵を開ける働きがあるような気がしてなりません。

◆1972年10月号「味噌通信」

《本文》      空は晴れ味をたたえて体づくり  野も山も自然の恵みに育ぐくまれ、稔りの秋を迎え、自然のうまみも、日毎冴え、じっくりと、しみじみ味を楽しむ味覚の秋。皆様にはお健やかに、忙しい毎日をお過ごしのことと存じ上げます。  多年国民の、待望であった日中国交の正常化も、田中首相の訪中によって、史上未曾有の成果を挙げ得ましたこと、誠に喜びにたえません。中国での食事も、筋子 ノリ 梅干、味噌汁が朝食だと聞く。それにつけても、六年前訪中使節団の一員として、北京に滞在五日間首脳者との会談。至る所で一流の飯店での招待、名残尽きない思い出で追慕の念を禁じえないものがあります。特に揚子江以北、天津、北京での食事には色とりどりの溢れる料理が盛り込まれ、心豊かな会談を通じて楽しい食事、逢いたい酒 ブドウ酒 ビ-ル等もあやかってか、終始なごやかなで、万歳の乾杯も三回行われ、食べる集いであり、語らいの場であり、交際の場として、満面微笑に満ちた、楽しかった会食は今も尚忘れることが出来ません。可成痛飲、飽食したので翌朝の体調が心配、不思議にも快調であったので、東洋食の有難さをしみじみ感心いたしました。  中国には古くより医食同源という言葉が伝わり、中国の主婦は食事をレジャ-と考え、日頃の健康は食事からと心得、しみじみと味わいながら楽しく、語り合う習慣は今も尚、続けられ、一般に朝は軽食、昼は職場での室内食、夜は家庭にあって食卓を囲んで一家だんらん. 尽きない話に花を咲かせ皆で心から楽しみあって、円満な家庭を築き上げていると聞いております。 このところ日本人の食生活の現状はと言うと、今も尚牛飲馬食の弊風強く体質を考えない食の洋風化は、過剰養分や糖分(間食)等禍して肥満症、血圧、糖尿病等幾多の文化病が続出し、細胞の老化現象は、遂に肌荒れの症状を呈し食の単純さから来る尊い生命が、日毎に虫食まれていることを考えるとき、分析的の食生活を改め、古来より伝わる食生活に創意をこらし創意をこらし、日本人の体質にマッチした東洋人の食生活こそ、体づくりに連なり、食は生命なりの本旨を辨え、健康食をして頂き度いと思います。
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