女将の「豆まめ通信」

昭和47年1月号

 1972年1月 味噌通信   鏡餅をはさんで2匹のねずみが対座していますが、大きいねずみがどうもこれを書いた先々代の顔に見えてなりません。ねずみ年ではなくて、うさぎ年だったのですが・・・。  明治生まれの人にとって、戦後の高度成長のある部分は「ささやかなレジャーに狂奔」に感じられたのでしょうね。
シンピジウム
実際、現在を見てみると、「古きよき昭和の時代」という言葉が表すように近所関係、家族愛、が薄れていることは、「ALWAYS三丁目の夕日」が人気になった事からも頷けるのかもしれません。個人主義の方が楽になってしまったのでしょうか? それにしても「日本人は永久に笑えない国民」と外国に評されているとは、悲しいものです。

◆1972年1月号「味噌通信」

《本文》      ときはなる 松のみどりも春くれば       今ひとしほの 色まさりけり  源宗子朝臣       1972年の新春を迎え、心よりお喜び申しあげ、皆様の一層の御愛顧賜りたくお願い申しあげます。  高度経済成長のひずみは、人間性、否、人間愛、ひいては、家族愛までも失われ、個人と人間のゆとりを忘れて浅墓なレジャー狂奔して、日常生活に暗い影を投げかけている。古いヨーロッパを僅かの期間、廻り見てあせらず悠々と豊かな心ゆかしさを感じた。フランス人は人と会えば笑顔で語る。ドイツ人は翌日になって笑う。されど日本人は永久に笑えない国民だと聞かされた。又、常にエチケットの観念に強く、相手方の好意に対しては、言葉と物で、心豊かさを表している。旅行の最後ロンドンでのタクシーの出来事、地図の見せ方が悪かったのか、方向を間違えて200~300円位で行けるところ、遂に1500~1600円も走り続け、ミステーク、ミステークと連呼して車を止め、地図を見直して反転、遂に3000円もオーバーして漸く宿についた。全く見知らぬ異国の地、四面楚歌、やっと安堵の胸をなでおろした。 代金はと、問うたら、ノーマネー ノーマネーと両手を交叉して金は要らぬと言う。約1000円もの謝礼したところ、ベリーサンクユーと瑞気の笑えみを浮かべ別れを告げた。異国の地で、伝統紳士の国のプライドをまざまざと実感を深め、心の豊かさは、金では買えられない尊さを味わった。さて羽田に着いてタクシーの運ちゃん、信濃町まで、いくらと、聞けば3000円と言う。タクシーの待合所より乗った所何と1300円、あまりにも日本人のせつなさをしみじみ味わった。  時は流れ時代は進む、されど 古くして新しい世代に伝統日本人の人間愛を今こそ培って、明るい住みよい社会の建設が大切ではなかろうか。味噌は古きより伝わる。されど常に新しい時代の要求にマッチした生産に頑張りたい積もりだ。
 ●とうふの味噌漬 新井英治先生  今より三十年も前中国で難病で苦しんだ人が百年もたったという豆腐の味噌漬を一ヶ月余りも食べたら治ったと言われ、さいころ大のものを貰ってきた。尓来(それ以来)その味が忘れられず今でも作り楽しんでいる。
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